2016-02-18 第190回国会 衆議院 予算委員会 第14号
出版社のPR誌にコラムを連載していて、それをまとめて二〇〇三年に発行したものだと思いますが、この当時は、まさに今おっしゃっていただいた総量規制があって、住専問題があって、住専国会があって、九七年に金融破綻があってということをずっと踏まえてきた上で、恐らく国民の不信がピークに達していた時期だというふうに私も理解しておりますし、私が書いていることは当時の世論をよく反映しているというふうに認識をしております
出版社のPR誌にコラムを連載していて、それをまとめて二〇〇三年に発行したものだと思いますが、この当時は、まさに今おっしゃっていただいた総量規制があって、住専問題があって、住専国会があって、九七年に金融破綻があってということをずっと踏まえてきた上で、恐らく国民の不信がピークに達していた時期だというふうに私も理解しておりますし、私が書いていることは当時の世論をよく反映しているというふうに認識をしております
お父様の村岡兼造元官房長官、私も大変お世話になりまして、運輸大臣、そして自民党の総務会長をお務めになり、たしか住専国会のときは国対委員長で、私も副委員長で、いろいろ御指導いただきました。非常に丁寧に仕事を進められる方で、その一方で、一度物事を決めたら曲げない、そういう姿勢を敏英先生も引き継がれているんだな、今までの議論を聞いて、そんな思いを持ったところであります。
実は、住専国会というのがございましたけれども、あのときに、財務当局の都合で金融政策をかなり決め過ぎてきたということで、日銀の独立性を高めようという議論を私どもはいたしまして、私はさきがけの政調会長代理でしたけれども、路線を敷いて、その後、枝野さんたちがきちんとその実現を図られたという経緯がございます。
我が国では、九六年の住専国会から始まって、そして、最終的には九七、八年、金融国会で不良債権問題の処理について一応の道筋をつけたわけでありますが、その流れがこの金融機能強化法につながっているわけです。 私は、振り返ってみて、必ずしも日本の不良債権問題というのはすんなりと解決されたわけではないなというふうに思っているんです。
まさに今先生が言われた住専国会、私も、大変もまれた人間でございます。たしか、あのとき、大手行に三兆五千億の債権放棄をさせた、こう思っておりますが、その後の二次ロスの問題を、この前、この委員会で通していただいたわけでございまして、私も、ある意味で、政治家個人として大変感慨深いものがございました。
置かれた金融安定化拠出基金への資金拠出等の追加の負担を行い、更に住専処理に伴う国民の負担を結果としてできる限り軽減するよう努力するとの観点から、今さっき話になっています社団法人新金融安定化基金を設立して追加の負担を行ってきたところでございまして、私はあの時代振り返ってみても、バブルが崩壊し、土地の価格が大変もう急落するという時代で、本当に金融システム全体の安定化は大丈夫だろうか、そういった中で、住専国会
それから、まさにバブルが崩壊した後、先生が今お話しされましたように、住専国会も我々は経験しましたし、それから小泉、竹中さんの時代になりまして、非常にある意味で、我々は外から見ておりましたけれども、かなり強引なとは申しませんけれども、そういった感じを、雰囲気を持っておりまして、世界が非常にグローバルな競争の中で、やはり大きな銀行でないと生き残れないと。
その後、いろいろな形、公的資金の注入等があって、もっと大きな金額が使われるようになったけれども、あの住専国会のときのような大きないわゆる世論の盛り上がりはなかったというふうに私は思っております。あの住専の問題が、特にあれだけ大きな国民的な関心を呼んだのはなぜだというふうに大臣はお考えでしょうか。
十五年前、住専問題が社会問題となりまして、当時、住専国会というのがございました。大いに議論されたわけでございました。そういう意味では、今回、その終結ということで、大変感慨深いものがございます。石田委員長も、私、一緒に第一委員室の前に二週間……
小池議員も、いろいろな党におられたときに、住専国会とかいろいろな場面を経験されているわけでありまして、それらについて、それぞれよかったところ、あるいはやり過ぎたところも、それぞれ与党、野党の立場で経験してきたからこそ、これからの国会運営について、反省すべきところはきちんと反省した上で国民のための国会にしていこう、そういう提案でありますので、真摯にお受けとめをいただきたい、このように心からお願いを申し
小沢一郎代表は、住専国会、そして金融国会で公的資金注入等に反対し、国会審議に応じず解散を求めていた、あのときも解散を求めていた、これを覚えています。 与謝野大臣、中川大臣、そして総理の順で、そのころの御記憶ございますか。
住専国会ではわずか六千億、一・九兆円に比べたらわずかと言います、あえて。それで国会が大変な騒動になりました。そういうふうになったら困るから財布が必要だと。これこそが特別会計じゃありませんか。その中で、目的がはっきりしないようにということであいまいな形で一・九兆円を使ってしまう。こういう特別会計は即刻廃止すべきじゃないですか。
かつて住専国会のときに、あれは不動産に銀行がどんどん投資をして、余り地価が上がって総量規制やった。総量規制をやったために、住宅専門会社を作っていながら今度は銀行が住宅に手を出していったものですから住専の方がおかしくなっていったと、こういう歴史もあるんですね。 そういうもろもろのことを考え、いま一つは、これだけ国も地方も借金をしてこれは本当に大丈夫なんだろうかと。
私も住専国会、国会に籍を置いておりましたので、あの住専のときの場合には、一つ一つ法律の手続を踏んで、そして対応がなされたわけでありまして、その中でも、旧大蔵省あるいは法務省から、先ほどお話をさせていただいた守秘義務の問題がある等々で、私たちは慎重に対応すべきだということを申し上げております。
○伊藤副大臣 ぜひ住専国会のときを思い出していただきたいんですが、あのときには議院証言法に基づく国会からの提出要求があったわけであります。それに対して、大蔵大臣から、国会からの要求資料が職務上の秘密である旨の発言があり、法務大臣から慎重な対応が必要である旨の発言があり、職務上の秘密である旨の申し立てが大蔵大臣から衆議院議長になされたわけであります。
それゆえ、与野党の対立が先鋭となる選挙制度特別委員長や政治改革特別委員長、あるいは住専国会の金融問題等特別委員長など、難しい局面における議会運営のかじ取り役を期待されることがしばしばでございました。 こうして、坂野先生は、数々の院の役員、閣僚経験を積まれ、政治家として大成されたのであります。
住専国会のときに本予算の総則のところだけ修正されて、それで大きい話題になったくらいであります。しかしながら、今回のこの機密費については、これはやはり、野党が頑張ったとかいうよりも、国民意思が反映されたということでありましょう。それによって、議会のそういう議論に基づいて、結局、新しい決定をすることになった。
簡単に言いますと、一つは、平成八年の住専国会のときに、実は大変紛糾したんですが、あのときの住専の六千八百五十億をめぐって予算総則まで修正したんですよ、予算総則まで。
○国務大臣(久世公堯君) モラルハザードという言葉が新聞紙上多く出回るようになりましたのは住専国会以来ぐらいだったと記憶をいたしておりますが、非常に新しい一つの倫理でございまして、これは経営責任というものを非常に重んじなければいけないという一つのあらわれだろうと思います。
○久世国務大臣 ただいま委員が御指摘になりました金融行政全体のあり方につきましては、それこそ住専国会あるいは金融二法を制定いたしました二年前の金融国会というものを通じまして、従来の護送船団方式の行政から大きく転換をいたしまして、金融の安定と再生のために今その道を歩んでいるわけでございまして、その点につきましては御指摘のとおりだろうと思います。
〔理事須藤良太郎君退席、委員長着席〕 私はあの住専国会のときも質問させていただきましたが、一カ月も銀行に入って監査するわけです。私は、やめた方がいい、むしろ頭取に失敗したら銀行つぶすよと、この一言の方がもっと効くんだろうというあのとき話をしたんです。 いずれにしても、預金者に対して今度どれだけPRしたのかな、このことについて。
それから住専国会。これも、住専が解決すれば問題はすべて解決するのでという話でしたし、その後、金融安定化法、預金保険法の改正があったわけですが、そのときも一つのチャンスだったのですけれども、結局、預金保険機構が資金救済、債務保証等で資金拠出できるのは信用組合相手の受け皿銀行の場合だけ、そういう処理で来たわけですね。
住専国会の途中で当法務委員会で私も質問をいたしましたが、早く法務省としても決断してその立法を図るべきだと。結構そのころやっぱり慎重でございました、答弁は。なぜ慎重だろう、こう思っていたわけですが、その後平成八年の秋口ごろから法務省も大分腰を上げて、そして九年、十年と非常に積極的になって、十年の三月にこの三法案が提出されたわけでございます。
九六年、村山政権のとき、住専国会では六千八百五十億円の公的資金を投入され、これに当時新進党であった私は、小沢党首を先頭に、予算委員会室や廊下に座り込んで徹底抗戦したものであります。